本記事では天気の子と度々登場していたキャッチャー・イン・ザ・ライの関係性について日本一詳しく解説します。
天気の子を3回以上見た私が分かりやすく解説しますよ。
天気の子で主人公がカップラーメンにキャッチャー・イン・ザ・ライを載せていたけど、なにか関係あるの?
暇人(@ships_himajin)です。
今回は映画マニアの私が本記事を作成しました。
全ての力を振り絞りながら書きました。
後悔させません。
ゆっくりしていってね。
・天気の子の考察をしたい方
・天気の子でキャッチャー・イン・ザ・ライについて考察をしたい方
・天気の子を深く楽しみたい方
キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえてとは)
キャッチャー・イン・ザ・ライとは
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はJ・D・サリンジャーによるアメリカを代表する青春小説です。
「ライ麦畑でつかまえて」とも呼ばれています。
野崎訳のライ麦畑でつかまえてと村上春樹のキャッチャー・イン・ザ・ライがあります。
どちらもありますが、どちらかというとライ麦畑でつかまえての方は中二病ぽいオラオラした文体で、
キャッチャー・イン・ザ・ライには村上春樹の文体が強く現れているので、主人公がいくらか思慮深く見えます。
キャッチャー・イン・ザ・ライのあらすじ
主人公は学校が息苦しくなって退学処分になった元高校生の少年です。
学校にも社会にも家庭にも居場所を失い、ニューヨークを放浪します。
放浪してもなお、大人達の欺瞞や冷たい態度、高校生だからとあしらわれる主人公。
最初は主人公の行動にあまり共感はしなかったのですが、
段々と不器用ながら社会に向き合い、そして突き放される主人公に同情します。
家出少年で主人公は社会を否定し、時に社会と向き合いそして否定されます。
序盤の天気の子のあらすじもこの話に似ていると思いませんか?
度々登場するキャッチャー・イン・ザ・ライのメタファー
船から落ちそうになる帆高を助ける
キャッチャー・イン・ザ・ライの語源としては主人公のホールデン少年が語った寓話に由来します。
ライ麦畑でつかまえてっていう翻訳は実は正確ではありません。
これだと捕まえてほしいみたいな訳になってます。
ホールデン少年(主人公)がキャッチャーで捕まえる人を表しています。
そして、catcher in the ryeということで正確には「ライ麦畑で捕まえる人」になります。
薄々気づいている人がいらっしゃるかもしれませんが、このライ麦畑が社会を表しています。
このライ麦は平地ではなく、崖に囲われた場所を指しています。
ライ麦の端っこに鎮座しながら、ライ麦畑で遊んでいる子供たちがはしゃいで崖に落ちそうになるのを助けたいということです。
自分みたいに社会から爪弾きにされそうになっている子どもたちを助けたいということです。
そして、典型的なメタファーが早速天気の子で登場しています。
帆高が傾いた船から落ちそうになっているのを須賀さん(Vo.小栗旬さん)が助けます。
これは帆高が社会から逸脱しそうになるも、最終的に須賀さんから助けられるという今後を指しています。
風俗経営者等いかつい人から目をつけられる
家出という社会から逸脱した行動をとった天気の子の帆高ですが、
早速歌舞伎町に迷い込み、トラブルに巻き込まれます。
歌舞伎町ってそりゃあ治安悪いからな。
何故そんなところに迷い込んだのか笑
お金も尽きそうになり、居場所を失う帆高。
これはニューヨークを放浪し、風俗で騙されバーでバカにされたキャッチャー・イン・ザ・ライの主人公に似ています。
そして、キャッチャー・イン・ザ・ライのように主人公が社会から逸脱したままなのか、
それとも逸脱しそうになるも社会に溶け込んでいくのかどちらかの未来が待ち受けていることになります。
【ネタバレ注意】天の崖から落ちる陽菜
こちらはネタバレを含みます。
見ていない方はとりあえず見てから戻って来て下さい。
これもキャッチャー・イン・ザ・ライのメタファーだと考えられます。
先程の復習になりますが、ライ麦畑(=社会)には崖があります。
崖から落ちることは社会からのドロップアウトを示しています。
そして、天の崖から陽菜と帆高は落下してしまいます。
まさしくライ麦畑から落下してしまった構図になっています。
また、驚くべきことに落下してもちゃんと二人は生きていたのです。
これは二人が社会からドロップアウトしつつも逞しく生きていくことを示唆しているのではないでしょうか。
【ネタバレ注意】雨に濡れる陽菜を眺める穂高
こちらはネタバレを含みます。
見ていない方はとりあえず見てから戻って来て下さい。
最後に田端の高台でお祈りしている陽菜を眺める穂高。
これも実はライ麦畑でつかまえてのオマージュです。
ライ麦畑でつかまえてで一番有名なシーンがあります。
それは雨が降る中、回転木馬に揺られる妹を主人公が眺めるシーンです。
回転木馬が普遍的なもの、変わらないものを意味しています。
妹とホールデン少年の関係はこれからも続きます。
雨に濡れながら回転木馬の乗る妹を見て、主人公は多幸感を得ます。
このように、天気の子でも田端の高台(=変わらないもの)の存在を噛み締め、
陽菜との関係がこれからも続いていくことを示唆しているのです。
これぞ帆高の変わらぬ幸福なのです。
【ネタバレ注意】東京の天気は??
最終的に陽菜を救い、東京の天気を見捨てます。
社会から否定された陽菜と帆高は最終的に社会を否定し、見捨てたことになります。
ここはキャッチャー・イン・ザ・ライと異なる点です。
キャッチャー・イン・ザ・ライでは結局主人公は社会から否定され、病んでしまいます。
妹と過ごすという変わらぬ幸せを見つけてもなお、主人公は社会に負けてしまったのです。
正しさ、まともさだけが重要視される社会に負けてしまったのです。
しかしながら、天気の子は逆に社会を負かしてしまいました。
村上春樹から影響を受ける新海誠氏
天気の子は村上春樹著の海辺のカフカからも影響を受けている。
天気の子は村上春樹著の海辺のカフカからも影響を受けている。
新海誠氏は天気の子について、海辺のカフカという小説から影響を受けていることを公言しています。
キャッチャー・イン・ザ・ライは村上春樹氏にとってもお気に入りの小説です。
そして、村上春樹氏もキャッチャー・イン・ザ・ライに影響を受けた小説を書いています。
そこにも家出少年が登場するのです笑
海辺のカフカという題の小説ですが、空から魚が降ってくる点等類似点があります。
また、他にも類似点があります。
天気の子は主人公たちの行動が世界を変えてしまうという「セカイ系」のストーリーに分類されます。
そして、海辺のカフカもセカイ系の小説です。
キャッチャー・イン・ザ・ライにセカイ系が結びついたものが天気の子です。
新海誠は過去の名作を繋ぎ合わせ、現代風にアレンジしているカリスマ
個人的に新海誠氏は天才だと思います。
そしてシェイクスピアのようなゼロからものを作る天才ではないと思います。
しかしながら、豊富な知見を元にそれを一つの作品にするという点で天才だと思います。
普通の人はそれが出来ません。
それが出来れば世界を席巻できます。
タッチパネルとPC、ガラケーを組み合わせてiphoneを作ったスティーブ・ジョブズのようです。
スティーブ・ジョブズファンの方から怒られそうですが、イノベーションはそんなもんだと思います。
アニメを作るという点で新海誠氏は天才だと思います。
まとめ
今回は天気の子の考察を行いました。
疲れたときはくるみでも食べながらマンガでもどうぞ。
私達の体に必要な多価不飽和脂肪酸であるオメガ脂肪酸でリフレッシュしましょう~\(^o^)/