皆さんは春は好きですか?
春って新しい出会いも会ったりするけど、
なんか寂しさみたいなのもあったりするんだよねぇ
私は春が好きですが、春という季節の人間は嫌いです。
春はそれまで息を潜めていた植物たちが再び隆盛を誇り、花たちは咲き乱れます。
春は引越したり、新たな進路に向かったり、新たな出会いがあったり。
人起点で考えると春は少しやっかいだなと思ってしまうのです。
春は皆が背伸びしているような気がするのです。
皆焦り過ぎている気がするのです。
焦りは失ったものを取り戻すことしか出来ない。
本記事では焦らなくていい理由を考察します。
春という気候
春の気候も好きです。
たまに冬寄りの気候になったり、冷房を点けなければいけないほど寒かったり。
窓を開けると夜風が気持ちいい時期は大切ですよね。
そんな時期ももうすぐ終わろうとしています。
夏の到来が迫っていますね。
春の人。入学式、入社式、新たな出会い。
春は皆必死過ぎるような気がします。
一生懸命、都会人になろうとしたり友達を急いで作ろうとしたり。
髪を染めてみたり急いで何かやらないと。。。という表情を皆しているなと。
一種のアピール大会になってしまっているような気もします。
人間本来の姿をなかなか見ることが出来ないように思えます。
春。新たな挑戦という意味では見ていて楽しい
そんな皆が必死になる貼るという季節ですが、毛嫌いしているわけではありません。
新たなことに挑戦するという意味では船出として祝福されるべきだと思います。
私の一部から卒業し、新たな私のかけらを迎え入れる。
ただ、友達を作らないといけない、研修で成果を挙げないといけないといった固定観念に染まってしまっているなとも感じてしまうのです。
皆が3月に失ったモノや人に対しての寂しさの代償行為。
そのように感じてしまうこともあるのです。
暇人って難儀な性格をしているね(笑)
春だけではない。出会いはいつか訪れる。
春というタイミングを逃したら友達は出来ないのでしょうか。
いえ、必ずしもそうではないと思っています。
急いで作った友人関係は仮初の関係なのかもしれません。
最初は話していたけど、気がついたら他の人と仲良くなっているということはよくありますよね。
粉がついた餅の如く、くっついたり離れたり。
似た者同士は惹かれ合い、自然と仲良くなるものだと思っています。
クレヨンしんちゃんの天カス学園やスタンド・バイ・ミーのような感じですね。
一生の友達の作り方(20代で得た知見)
皆少し背伸びして自分を鼓舞している中、沈んだ顔をしていたり
特別感なく冷静にありのままの自分でいる人もいます。
そんな人にこそ話しかけるべきだと思います。
大衆に迎合することなく自分の時間の過ごしている人。
それは実に尊いことだと思います。
同様のことは20代で得た知見(F著)で言及されています。
小中高と友達が出来なくても焦る必要はありません。
等身大で気兼ねなく話せる人は必ず現れます。
無理して自分を取り繕えば公開します。
中高はわりと趣味等も限られているし、部活くらいしか友達作りが出来ません。
色々な文化背景の子たちがいるため友達もできにくいかと思います。
社会人のほうが 言うて楽なんですよね。
春の嵐(ゲルトルート) ヘルマン・ヘッセ著(ノーベル文学賞受賞)
春の嵐はヘルマン・ヘッセ著の小説です。
美しい文体を通してこの小説は幸福の意義を説いています。
身体的に不具を持った主人公と社交的な友人。
結局身体的に不具を持った主人公はじわじわと得意なことを通して幸せになっていきます。
演劇のように真の幸せ(クライマックス)はまだまだ先かもしれません。
幸福は自分の強み、弱みにそれぞれ合わせて存在しています。
いきなり幸福になることはないと思います。
投資のようにゆっくりと育てていけば良いのです。
春で絶対に許すことが出来ないもの
花粉です。